Letters of Memories
「あれー、なにこの落書きっ!」
静かな城内の一室で今日も恒例のお勉強タイム。甲高い声で大声を上げる姫にお付きのプレセアが駆け寄り、指さされた本を覗きこんだ。
そこには確かに見慣れない文字が一行、書かれている。
その下にはセフィーロの文字で文が一行。
「…上の文はセフィーロの文字ではありません。おそらく異世界の文字でしょう。」
確信はないが、たまにヒカルやウミが持ってくる書物の文字と似ている。
「何て書いてあるのかなぁ。私、お母様にきいてみます。」
「そうですね、それが一番早いですわ。」
「プレセア、今日もありがとうございました。」
勉強道具をたたみ、丁寧にお辞儀をする少女。誰に教えられたでもなく出来るのだからやはりフウの子だな、と思う。
この後は恒例の探検だろう。姫とはいっても性格はお父様譲り、元気なことこの上ない。
「はい、どういたしまして。姫、フェリオ王子に会ったら導師が探していますよ、と伝えていただけますか?」
「お父様はお母様と御庭で寝っ転がっています。」
お仕事をさぼっているのは毎日のことです、とタタタかけて行く小さな姫の後ろ姿を微笑ましく見つめ、上階の導師クレフの書斎に脚を運んだ。
「導師、お仕事は順調ですか?」
「ヒカルとウミの到着までには何とか間に合いそうだ。」
相変わらずプレセアの仕事管理は厳しいな、と笑いながら彼女が持ってきたお茶に手を伸ばした。
今日、地球では日曜日。恒例のヒカルとウミがセフィーロを訪れる曜日なのだ。
あまり会えない関係柄、せめて一緒にいる時間がある時くらい仕事のことは忘れたい。
「フェリオ王子も間もなく来てくださると思います。」
「ああ、ありがとう。姫の勉強の進み具合はどうだ?」
「順調ですよ、やんちゃなところがありますが根は真面目ですから。」
そうか、と開いていた大きな本を閉じクレフは深呼吸をする。
「そういえば姫が文字辞典で異世界の文字を見つけまして。」
「・・・。ああ、あれか。」
ずいぶん珍しい話題を持ってきたな、と微笑みながら首を回しストレッチ。座ってばかりの体を少し動かすだけで次の日の疲労具合が大分違うことに気がついたのは数週間前。
「あら、導師御存じなのですか。」
「ああ。ウミが書いたものだ。」
セフィーロ文字を勉強すると意気込んで図書館に言った姿を思い出す。今日も熱くよく薫るお茶に再び手を伸ばす。
一度図書館の管理人に呼ばれたことがあった。誰かが書物に落書きをしたらしい、と。
ウミの仕業だと気付き「大目に見てやってくれ」そう告げてその落書きを消す指示は特に出さなかった。
あれはそう、まだ私が自分の気持ちに気づく前。
「何が書いてあるのですか?」
げっ…とバツが悪そうな顔を一瞬見せたクレフに怪しんだプレセアの眉間のしわが寄る。
「・・・それは本人に聞いてくれ。」
コンコン、とタイミング良くなった扉を開き入ってきたのはフェリオ王子。
今まで芝生で寝ていたのだろう、顔の右側に跡がついている。そして左側には小さな手形。
どうやら寝ていたところを姫の平手打ちで起されたようだ。
「導師、お待たせしました。」
「わざわざ呼び出してしまい申し訳ない。」
とんでもありません、とフェリオは用意された椅子に腰をつく。
「プレセア今日も勉強を見てくれたらしいな、ありがとう。」
「いえいえ、好きでやっていることです。気になさらないでください。」
「そういえばフウが文字辞典に書かれた内容について聞かれてな。」
「あら、姫ったら仕事がお早いですね。」
チラリ、とクレフのほうを見て、フェリオが楽しそうに笑った。
「導師、あれはお二人が一緒になる前のお話ですか?」
「・・・ええ。」
諦めたように笑ったクレフにプレセアはわけが分からない、と首をかしげる。
「もう5,6年前の愛の告白ってことですね。」
「愛の告白?まぁ、そうだったんですか?セフィーロの文がそうだということには気づきましたが、異世界の文字の文も?」
ポンッっと嬉しそうに手を鳴らして目を輝かせるプレセア。
ロマンチックなことが書いてあるのだと思っているに違いない。
「ウミが書いたあの文面は愛の告白というより挑戦状だ。」
「挑戦状?」
自分もそう、6年前に何が書いてあるのか気になってフウに尋ねに行った。
なぜだかわからないが本人に聞こうとは思わなかった。
フウは驚いたように笑って内容を教えてくれたのだった。
『私あなたをオトしてみせるわ、クレフ。』
まさに決意の現れとも言えよう内容に、呆気にとられたことは今でも忘れられない。
何となく気付いていたウミの好意の気持ちと戸惑っていた自分の気持ち、それは交差することなく時間にかき消されていくのだと思っていた。
しかしウミは違った。自分の力で交差させることができることを分かっていたんだ。
今思えば私とウミの距離が近づき始めたのはあの文字を見つけてから。
恋愛に関しては私よりも遥かに上手。
そう、上手。
私はなかなか、普通の男のように感情的に動けない。
あの時もそう、
自分の口からは好きだと言えないから、もう一度彼女が辞書を開くことを願って返信をした。
書いたこともない言葉を書いたものだから、筆を握る手がものすごい汗をかいたものだ。
『では私はそれを待とう、きっとこの先何年先も。』
それは、辞書のそのページでしか知ることのできないセフィーロの導師クレフと異世界の少女の関係史。
彼が彼女のメッセージを見たことを彼女は知っているのだろうか。
彼女は彼の返信を見たのだろうか。
答えは誰にもわからない。
それは、あの辞書だけが知っている永遠の秘密なのだから。